川の詩 (Poem Of The River)

音楽、映画、本といったカルチャーから些細な日常までをその日の気分で何となく

アロノフスキー流の創世記は、宗教映画か、SFスペクタクルか、壮大な人間ドラマか?

先月の公開から、観よう観ようと思っていたが、ナゼか後回しにしてしまっていた映画をやっと観る事が出来た。

『ノア 約束の舟(Noah)』(2014年・アメリカ映画)
監督:ダーレン・アロノフスキー
脚本:ダーレン・アロノフスキー 、 アリ・ハンデル 
音楽:クリント・マンセル 
キャスト:ラッセル・クロウジェニファー・コネリーレイ・ウィンストンエマ・ワトソンアンソニー・ホプキンスローガン・ラーマン、ダグラス・ブース他

 

ポスター A4 パターンB ノア 約束の舟 光沢プリント

 

ブラック・スワン』『レスラー』のダーレン・アロノフスキー(個人的には『レクイエム・フォー・ドリーム』の、と言いたい)が監督した最新作である。何と、旧約聖書の「ノアの方舟」伝説を、ラッセル・クロウ主演で描いた壮大なスケール映像によるアクション超大作ってなフレコミだ。アロノフスキーが聖書の世界を壮大に描く一大叙情詩...というのが、どうしても解せないという事で、ちょっと様子見していた次第。やっと観てきました。 

 

<あらすじ的なもの>

天地創造の後、アダムとイヴの罪から生まれた長男のカインの子孫の人類は、カインが犯した兄弟の殺害という罪を背負いながら、子孫を増やし続けていた。一方、3男の子孫であるノア(ラッセル・クロウ)は、妻のナーム(ジェニファー・コネリー)と、3人の息子たちと隠れるように暮らしていた。ある日、彼は夢を見る。神が、生あるものを振るいにかける為に大洪水を起こすというものであり、それを神のお告げと悟った彼は、家族と堕天使と共に巨大な箱舟を造る。そして全ての種類の動物のつがいを乗せる。果たして大雨による大洪水が発生し、世界は水の中に埋没してしまうのだが...。

 

この作品は壮大なスペクタクルとして観てしまうと、アロノフスキー作品である事を忘れてしまい、単なる娯楽映画となってしまいそうだったので、旧約聖書の世界を確認しつつ、ちょっと比較検討するという観点で観てみた。

 

旧約聖書より)

<創世記>   

天と地を創造した全能の神は、全ての生き物を統治する存在として、土の塵で人類最初の一人アダムを生み出し、その分身であるイブを作り出した。彼らを楽園=エデンに住まわせた神は、地の樹木の実や植物などを自由にする事を許可したが、唯一「知恵の木」だけは、これを禁じた。これは神が与えた試練だったが、蛇の誘惑に乗ってしまったイブは、アダムと共にこの木の実を食べてしまう。禁断の実を食べてしまった罪を犯したアダムとイブは、その罰としてアダムは食物を得るための苦しみと、命が尽きた後は土に還る事、イブは産みの苦しみと男に支配される事を課せられる。ふたりの間には長男のカインと弟アベルが生まれる。

 

<カインとアベル> 

成長していった彼らは、カインは羊飼いとして、アベルは農夫として生活した。ある日、神に正しいものとされたアベルに嫉妬したカインがアベルを殺してしまう。罪を犯したカインは、エデンから追放される。流浪の生活の末にカインは子孫を増やし、自分たちに楽園を築く。

 

<アダムの子孫>

神に正しいと認められるべきアベルがカインに殺されたため、神はアダムと、次の妻との間に子供を授けた。これがセトであり、その子孫がメトシェラ、レメク、そしてノアだった。ノアは、息子たちセム、ハム、ヤフェトをもうけた。

 

この天地創造の物語は、映画の序盤に旧約聖書に忠実に語られるのみで、映画のストーリーには登場しない。ノアの祖父であるメトシェラはアンソニー・ホプキンスによって演じられた人物。ノアの父レメクは、マートン・チーカショが演じている。

 

旧約聖書より)

ノアの方舟

そして、人は増えていった。地上には人の悪が増した。主は地上に人を造ったことを後悔し、自身が創造した人、家畜、鳥を大洪水によって滅ぼそうとする。しかしセトの子孫であり、「救い」と名付けられたノアは、神に従う無垢な人として、啓示を受ける。それは、大洪水の前に箱舟を造り、妻子や嫁たちと共に方舟に入る事、そしてすべての命あるものを、雄と雌のつがいで方舟に乗せて生き延びさせる事だった。

 

清い動物を七つがい、清くない動物を一つがい、鳥を七つがいを方舟に収めた。ノア、息子のセム、ハム、ヤフェト、ノアの妻、三人の息子の嫁たちも、箱舟に入った。ここで方舟への扉は主によって閉ざされた。そして、洪水が地上に起こった。地上ににいた生き物はすべて、滅ぼされ、ノアと、彼と共に箱舟にいたものだけが残った。

 

映画では、清い動物と清くない動物という事は無く、全ての動物を一つがいずつ集めたという事になっていた。動物愛護に偏重しているという指摘が正しいか。また、嫁がいるのはノアとセムだけになっており、人間の数が足りない。これは思春期のハムの複雑な心と行動を描くための布石であろうか。しかし、方舟を造る過程では、ウォッチャーという岩の巨人(実際は堕天使らしい)が大活躍して、いとも簡単に出来てしまうので、少々肩透かしを食う。ここでカタルシスを得る様なストーリーでは無いという意図は汲めるが、実際には家族だけで造ったので、100年以上もかかったことを考えると...。ウォッチャーの存在で一気にSFスペクタクルになってしまうのが、ちと残念か。

 

旧約聖書より)

 

神は、ノアと動物たちの事を気に留め、風を吹かせたために水が減り、天の窓が閉じたため雨はやみ、水は地上から水が減っていき、箱舟はアララト山の上に止まった。

ノアは烏を放したが、地上は乾いていなかったので、戻ってきた。次に鳩を放したが、止まる所を見つけられずに帰って来た。更に七日待って、彼は再び鳩を方舟から放した。戻ってきた鳩は、くちばしにオリーブの葉をくわえていた。ノアは水が地上からひいたことを知った。彼は更に七日待って、鳩を放した。鳩はもはやノアのもとに帰って来なかった。

 

ここらへんのくだりは全くもって旧約聖書の内容に忠実だった。しかし、堕落した人間の象徴としてトバル・カイン(レイ・ウィンストン)が登場したり、彼が容易く方舟に乗り込み、ハムを手なずけてノアを襲おうとするのも完全オリジナルだと思われる。肉を食らうのは悪の象徴であるトバル・カインだけ。菜食主義者のアロノフスキーらしい表現と言える。

 

旧約聖書より)

 

地上はすっかり乾いた。そこで、ノアは息子や妻や嫁と共に外へ出た。ノアは農夫となり葡萄畑をつくった。ある日、ノアが葡萄酒を飲んで酔っ払い、裸で眠ってしまった。それを見つけたハムは、彼を馬鹿にしたが、セムとヤフェトは父親に服を着せた。目を覚まして事情を知ったノアは、ハムとその子供に呪いをかけた。

 

ラストのくだりに関係があるこの部分は、あまり詳細にするのは避けるが、ノアとハムの親子関係の実際と、生まれ来る子供たちへのノアの考え方や苦悩は、完全に映画オリジナルである。何故この様な脚本に至ったかは、個人的にはまだ解決していない。何でなんでしょ?

 

とは言え、結構なウェイトで聖書を骨子に組み立てられた脚本だし、方舟のヴィジュアルは、サイズや形に至るまで聖書の記述に極力忠実に造り上げたとの事。その執念たるや凄いが、アロノフスキー作品としては個人的には食い足りない。宗教や動物愛護といった事柄の扱いの難しさに、アロノフスキーも負けてしまったか。あえてタブーに挑むにはあまりにも大きな問題を題材にしてしまったからか。

 

出演俳優としては、苦悩するノアを演じたラッセル・クロウの迫力は壮絶なものがあるが、若手俳優の魅力も捨てがたい。イラを演じるエマ・ワトソンは相変わらず魅力的。少女から、強い母親に至るまでの女性をを見事に演じている。既に『ハリー・ポッター』の冠言葉は必要ない。最新作はアレハンドロ・アメナーバル監督(『オープン・ユア・アイズ』『アザーズ』『海を飛ぶ夢』など)による『Regression(原題)』。そのエマとは『ウォールフラワー』で共演したローガン・ラーマンも存在感を発揮している。

 

最近は恋愛映画でアラフォー女性を演じる事の多いジェニファー・コネリーが、ノアの妻ナームを渋く演じているのもいいなあ。アロノフスキー作品は『レクイエム・フォー・ドリーム』以来となるが、アロノフスキーは彼女の活かし方が上手いのでは?『フェノミナ』や『ラビリンス』の頃は15歳かあ!現在43歳。まだまだ渋みを増した演技を期待したい。次作となる、ペルーのクラウディア・リョサ監督(『悲しみのミルク』など)の5年振りの作品『Aloft(原題)』では、主役に抜擢された。楽しみ!